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「​【第5回】もしもぼくがcakesを引き受けたら。」を読んだメモ

​【第5回】もしもぼくがcakesを引き受けたら。|糸井さん、ぜんぶ聞いてもいいですか?|cakes編集部の記事、コラムを読むならcakes(ケイクス)

上の記事が面白かったので、頭の整理がわりにメモ。

3つ面白い話題が出てくる。

聞きかじりの価値

1つは「聞きかじりの価値」について。こういうのはしょっちゅう出てくる。最近では、聞きかじりの聞きかじりとか、そのまた聞きかじりとかも出ている。

記事の中で糸井さんは、これを「メッキ」だと表現されている。だとすれば、メッキではないものとはなんだろうか。「聞きかじり」ではない価値とはなんだろうか。

自分の体験から出たもの、あるいは考えに考えに考え抜いたもの。

なにかそういうものだろうか。

とても良いことが書いてある本があるとする。その本には価値がある。でも、そのままだとその価値は本の内側に留まっている。

私がその本を読んで、中の知識を振りかざしても同様だ。本の価値は、本の中に留まっている。でも、それが一時的にはメッキとして機能するのだろう。

その本を読んで何を考えたのか、どんな実行をとったのか、どのような結果が得られたのか。

あるいは、本に書かれていたことのどれが現実的で、どれが現実的でないか。どれがツッコミがいがあり、それが広げられる可能性を持っているのか。

そういうのが手に入ったとき、たぶん価値みたいなものが生まれてくるのだろう。

商売のうまくいく場所

糸井さんは、「最初に「こうだろうな」と思ってたことって、せまくて小さいんですよ。」とおっしゃている。

とても強く頷ける。

自分が想定している海(レッドにしろブルーにしろ)は、だいたい池なのだ。何がどう機能し、どんな結果を及ぼすのか、最初は全然わからない。そういうときに描いた地図はとても狭い。その地図で立てられた戦略は、やっぱりあまりたいしたことがない。

「もっと愉快で、もっと大らかなところで、商売はうまくいくんで」

糸井さんはこう書かれいているが、たぶんそうなんだろうと思う。「自分の使いたいものを作ったら、売れた」というのは、そういうのに近いのだろうし、オープンな世界で作られたソフトウェアが世界に影響を与えるというのも、たぶんそういうことなのだろう。

ただ、どこまでそれを信じられるのか、というのはなかなか難しい話には感じられる。そうじゃない、ビジネスをたくさん目にするせいかもしれない。

何にお金を支払うか

ネットでコンテンツを売ることは、障害がない、という話だが、それは確かにそうだろう。

ただ「商品になっていない状態にお金を支払う」ことについては、まだまだ可能性があると思う。それが良いことなのかどうかはわからないが、メルマガやクラウドファウンディングなんかは、その例に加えてもよいだろう。

そういう意味でいうと、cakesはコンテンツにお金を支払っているというよりも、cakesに登場しているクリエーターの活動の支援を行っている、と捉えられるのかもしれない。

ネットでコンテンツを買う、買わない、の話の問題は、「クリエーターが育つ場所があるのかどうか」という点にあると思う。出版社は、クリエーターの発掘や育成の機能を有していた。ばらばらに存在するブログには、そういう機能は__今のところ__見受けられない。

cakesは、ネットにおけるそういう機能を有する場所になり得る、という気がしている。

ただ、現状が赤字だとするなら__そういう話を小耳にはさんだ__、何かしら考えていく必要はあるのだろう。

コンテンツがパッケージされる途中でも、お金を支払う人はいるのだが、その数は決して多いものではない、というのがおそらく今の状態なのだろう。それを直接的に変えていくのか、それとも収益の形を変えていくのか。そういう分岐があるように思う。