「なぜかわからないこと」耐性
なんか、次の記事を読んでぽつぽつ思ったことを
http://blogos.com/article/53567/
提言として何が言いたいのかはよくわからない記事である。
人事担当者への負担が増えることは承知ですが、ひとりの社会人として「なぜあなたが落とされたのか」を説明を提供するのは、まさに「社会的な責任を果たす企業」としての価値ある行動だと思います。
就活に失敗してうつになる学生がいるから、それをサポートするのも企業の責務、ということだろうか。いや、そこまで強い主張ではないな。単に「価値ある行動」と書いてあるだけだ。
もしかしたら、確かにそうなのかもしれない。落とした理由を説明してくれる会社は就活生にとってはありがたい存在になるだろう。
じゃあ、A社がそれを実行したとしよう。上の記事の著者が書いているとおりマーケティング的な意味合いもきっとあるはずだ。つまり企業のブランドを生み出してくれるというわけだ。
で、どうなるか?
まず、就活系のサイトでこの話題が取り上げられるだろう。もしかしたら、著者のようなブロガーも絶賛するかもしれない。すると、その企業への応募者が増えること請け合いである。もう人事担当者が泣いて喜ぶ事態になってくる。なにせ、その増えた応募者(しかも、その企業に勤めたいからではなく、単に落とした理由を教えてくれるというだけで応募してきた人)に面接を行い、落とす人(応募者が増えても、採用数は変わらないのだから、落とす人がそっくりそのまま増える)全てに落とした理由を説明しなければならない。
で、どうなるか?
人事担当者がうつになるか、あるいは、ほぼ全ての理由が「テンプレ」で処理されるようになるだろう。
これが著者が望む状態なんですね、きっと。
上の提言が、もし「全ての会社に義務づける」というのならば、上のような問題は起きないかもしれない。
著者の提言は、おそらく短期間では成果を挙げるだろうが、たぶんそれだけだ。
が、そんなことは別にどうでもいい。そもそもわざわざ取り上げるような話題でもない。
気になるのは、記事中で紹介されている若者支援をされている方のツイートだ。その中に「なぜがわからないのがシンドイ」と書かれている。
おそらく若者のために何かを為す必要があるのならば、こちらだろう。
「なぜかわからないこと」に耐性がなければ、就活をパスしても結局どこかでシンドイめに合うことになるだろう。世の中というのは「なぜかわからないこと」が渦巻いているのだから。
面接でも、採用された人には何かしらの理由があるだろうが、落ちた人には明示的な理由などあるはずがない。「とるべき理由がありませんでした」というのが理由なのだ。こんなのはトートロジーだと言ってしまえば、そうかもしれないが、世の中というのは、そういうものなのだ。プログラミングで作られた世界とは違う。これはもう、どうしようもない。
そのどうしようもなさを受け入れる精神的なタフさ、というのがたぶん必要なんだろうな、と思う。